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フィリピンの歴史【episode 6】マルコス独裁政権 戒厳令は何だったのか?

投稿日:2020-05-15 更新日:

今回のフィリピンの歴史
【episode 6】は、、

マルコス独裁政権 

戒厳令は何だったのか?
マルコス政権の ざっくりで、ちょっとマニアックな解説です!

動画です 👇

 

目次


その前に前回の内容は、、

フィリピン歴代大統領

初代大統領 エリミオ・アギナルド
第2代 マニュエル・ケソン
第3代 ホセ・ラウレル
第4代 セルヒオ・オスメニャ

第5代 マニュエル・ロハス
第6代 エルピディオ・キリノ
第7代 ラモン・マグサイサイ
第8代 カルロス・ガルシア
第9代 ディオスダド・マカパガル
第10代 フェルディナンド・マルコス

第11代 コラソン・アキノ
第12代 フィデル・ラモス
第13代 ジョセフ・エストラーダ
第14代 グロリア・アロヨ
第15代 ベニグノ・アキノ3世
第16代 ロドリゴ・ドゥテルテ

16人のうち、戦後から、マルコス大統領までの流れをご紹介。


では今回の本題に入ります。

マルコス政権

1965年末ー1986年初頭の20年間

1965年 マカパガル大統領を選挙で破り
フェルディナンド・マルコスが大統領に就任。

マルコス大統領と聞くと、、
『私利私欲に走った独裁者』としてのイメージが先に立ちますが、、

持ち前の政治手腕、指導力で、経済開発を最優先課題として
外資関連法案の体系化、中央集権化と官僚制の整備
徴税機能の強化
計画、開発、の合理化から、道路、学校、病院などの整備
輸出の促進 
など、、海外からの資本を
積極導入をした経済政策で、長い任期の前半は GDP 6%を超える成長を実現。

また、歴代大統領が失策としていた《農地改革》は実効性を持ち、自作農の設立などで、特に米の自給率が格段に向上。

では、どんな独裁政権となって行くのでしょうか?

ちなみに大統領就任の翌年、今話題の ABS−CBNが テレビのカラー放映を開始してます。

ちなみついでに日本ではカラー放映、1960年からでした。

同じく就任翌年
1966年アメリカと緊密な同盟関係にあったマルコスは
反共産軍事同盟の《東南アジア条約機構》の首脳会議を主催。
フィリピン軍をベトナム戦争に派兵。

 そして早々に 動乱の始まりが

1968年、毛沢東主義に基づく《フィリピン共産党》(CPP) が再組織され
翌年、この軍事部門である《新人民軍》(NPA) が結成。

  NPAとは?
未だにニュースで耳にしますが
フィリピン共産党 の下
現 政治体制の転覆と

共産政府の設立を目指す武装組織。

アメリカ合衆国はテロ組織に指定
現在もテロ支援国家の支援を受け

フィリピン軍、警察などに武力攻撃を繰り返し、選挙の妨害、外国人の誘拐にも関わっている様ですね
怖いです

もう一つ、
1970年、ミンダナオでも ムスリムは《モロ民族解放戦線》(MNLF)を結成し、反乱を開始する。

MNLFとは?
ヌル・ミスアリを中心に結成された
イスラム教徒による、
反フィリピン政府の武装勢力です。


1969年 数々の実績のもとと、、
多くの議員の買収も噂される中、ロペス副大統領とともに、大統領 再選。

経済成長によインフレ、農村部と都市部、 格差の広がりにより、農村部を中心に、反政府の新人民軍の勢力が強まり
爆弾テロ多発など国内の情勢は不安定となる。

戒厳令

マルコスは NPA MNLF 両組織の反乱から国家を守るため!と主張し
1972年 独断で憲法を廃止するとともに、フィリピン全土に《戒厳令》を敷き、
議会の解散、既存支配層の排除、軍隊が政府機能を把握。

などなど、戒厳令は9年間もの間続き、この間 国軍も23万人から、最終的に3倍の規模に拡大。

まずは、反マルコス派のベニグノ・アキノ

(ニノイ・アキノですね)
彼らを、逮捕、投獄。

出版、集会、海外渡航などの自由も制限。

軍が逮捕権も把握しているので、デモがあれば、リーダーは即座に逮捕、勾留、拷問、中には消息不明となり
反政府活動は、軍の手薄な地方に分散し、共産党勢力に吸収されて行く事にも。

ただ 良くも悪くも、夜間外出禁止令後の犯罪率が劇的に低下。

独裁が故に、政治体制の安定 で経済成長も顕著になって行きます。


既存の《1935年憲法》を

《1973年憲法》

と改め 公布。

これにより「大統領 3期連続就任の禁止」を無効として この後、20年の政権が可能となります。

小野田 少尉

翌年
1974年、ルバング島にて、旧日本陸軍の生き残り
小野田 少尉を日本の降伏から 29年後になって保護。

マラカニアン宮殿で行われた投降式にはマルコス大統領も出席。
その際小野田少尉を「立派な軍人」と称える。

国交の樹立

1975年マルコス大統領は、自ら中国へ赴き、国交の樹立。

1976年ソビエト連邦とも国交樹立。

実はこの国交樹立の影の役者が、あの、イメルダ夫人!
単なる夫人にあらず、なんです。

事前に中国に赴き、調印を交わしたり、ソ連と国交を交わしたのは夫人。

そして、マニラ首都圏知事に就任したり、、
「タクロバンの薔薇」
かなりの やり手ですね。

同年、モロ民族解放戦線と
暫定和平協定。

ボルテスV

そして、ここで登場
1979年 日本のアニメ『超電磁マシーンボルテスV(ファイブ)』が放映され、最高視聴率58%の大ヒット

アメリカのアニメしかなかったところにボルテスVはかなり衝撃的だった様ですね!

ところが戦争のトラウマを残す大人達から、ボルテスVの武器の刀を、侍の刀、日本軍の軍刀ともみなす受け取り、、
また、この大ヒットを機に 日本企業が台頭してくることに警戒感。
大統領自ら放映禁止を宣言。

ところで、知らない方の為に ボルテスVとは?

私はビンゴの世代ですが
1977年放映開始、全40話の 超電磁ロボシリーズで、コンバトラーV(ブイ)に続く2作目。

必殺技に日本刀のような剣
(天空剣って言うのですが、、)
これを使う事から、まだ反日感情が残る中、日本を賞賛するものとして反感を買った、、とありますが、、

一説では、ストーリ中に登場の 敵異星人 貴族 が治めるの独裁国家に対して、
追放された革命者が革命を呼びかける、、との内容に、
独裁的な政権運営を行っていたマルコスは、フィリピンから追放した ニノイ・アキノのと被らせたのか?

国民感情が 革命方向に向かわない様、政治的圧力で放映を禁止をした、、 との解釈もある様ですね。

その後、エドゥサ革命 直後、放送再開。
さらに1999年 再放送がされると最高視聴率40%を超え、リバイバルブームとなります。

昨年、フィリピンでは40周年anniversaryで、キャラクターグッズがたくさん出てましたね!

私がフィリピンに移住し、今のサロンができるまでの間、スタッフが80人も在籍する大きなサロンにいましたが、そこで私が日本人と紹介されると
若い子達からも 主題歌を歌われたり、、
逆に「歌って!」と言われたりしました。
(んなの、覚えとらんは!と日本語で、笑顔で返しましたが)

(あっ、夜のカラオケで、歌っているおじさんも見た事があります😄)

天空剣、一文字斬り、、
小学生の頃、傘を剣に見立てて友達を追っかけた頃を思い出します。



すみません、、
だいぶ話がそれてしまいましたが

マルコスが戒厳令を敷き

《開発独裁》

に踏み切ったのは、インドネシアのスハルト の手法を真似たとみられています。

ちなみに開発独裁とは
「経済発展のためには政治的安定が必要であるとして、国民の政治参加を制限、独裁を正当化すること」
とウィキペディアにあり、、

ページ下の方には、開発独裁が行われた主な国のところで
フィリピン、マルコス政権がありますが、ちゃっかり ドゥテルテ政権も「継続中」で乗ってますね、、

(そうかなぁ、、
わたし的には未だ独裁者は財閥じゃないかなぁって思いますけどね😅)

もともとマルコスの政策は、既存の特権階級が独占していた権益を、解体、解放するもので、実際フィリピン経済を昔から支配した 華僑 や財閥からも 多くの権益は没収されました。

その中には、マルコスが大統領になる際、バックアップ、そして身内を副大統領としていた ロペス財団 もあります。

政治的地位も利用しますます強大なものへとなり、特にマスコミを抑えている この財閥に 危機感を感じこれをも、、解体
(まぁ、アキノ政権で大復活しますが、、)

没収された 財 はフィリピン国民へ、、
とのはずが、実際にはマルコスの一族と、「クローニー」/取り巻く者
と呼ばれる者達が受け継ぐこととなってしまいます。

政府官僚と大企業の癒着による新たな経済支配ですね。

特権階級を壊す!
で労働者の支持を集め
(自民党をぶっ壊す ってのが日本でもありましたね)

農地解放は、農民の支持を集めましたが、結局はその
権益分配をめぐり贈収賄、恐喝、横領が 習慣の様になって行くのです、、

1981年 ローマ法王ヨハネパウロ2世のフィリピン訪問前に 戒厳令 は解除されるが 軍による治安権力は維持。

同年、形式上の大統領選挙で再任

マルコス政権の前半は、経済のパフォーマンスは強かったものの、
独裁体制が長くなるにつれ、汚職が蔓延
私腹を肥やす 権益に取り巻くクローニー に対して、GDPは下がる一方となります。

アキノ暗殺事件

そして1983年8月21日
反マルコスの中心人物でアメリカに亡命をしていたニノイ・アキノが、経由地 台北よりマニラ国際空港に到着。
機内よりフィリピン兵士に連れ出されたアキノは、飛行機降りるとすぐに撃たれ、50歳にして暗殺死。

政府は、警備員を装った 新人民軍 のゲリラ犯行と発表。

実はこの時、機内には日本のジャーナリストが乗っていました。
日本でも「アキノ白昼の暗殺」とした報道特集もあり、大騒ぎになりました。

アキノを連れ出した兵士の声で
「アコナ、、」「プシラ、、」
俺が、、 撃て、、が納められている様ですが、その証言は闇雲になったそう。

自らの死を覚悟で、フィリピンに戻ったニノイ・アキノとは?

ニノイ・アキノ

《ニノイ・ベニグノ・シメオン・アキノ・ジュニア》
通称が ニノイ・アキノ

1932年タルラック州 11月27日生まれ。
(どうでもいいですが、、私と誕生日一緒だったんですね!
歳は違いますよ!)

祖父はアギナル大統領の側近
父はラウレル政権下で活躍

大学を中退してジャーナリストを目指すも
1954年 マグサイサイ大統領の下、22歳の若さで フクバラハップのリーダーを説得、投降さ、
その功績で市長に。
同年、コラソン・コファンコと結婚。
この後、大統領として担がれる夫人ですね。

1961年 故郷タルラック州の知事に
1966年 自由党の幹事長に
1967年 35歳で史上最年少で上院議員に
これは未だに記録の様です。

1972年 マルコス政権下で、反政府側の危険人物とされ逮捕、投獄。

1977年に死刑判決が出ていたが、国民に人気のあるニノイを処刑することができず、、
1980年、アメリカに追放。

マルコス政権を厳しく批判しながらも国民対しては暴力に訴えないよう常に求めていた。
若くして才能のある、国民に信頼される政治家だったのですね。

新旧 P500札の肖像画となっていますね!

8月31日に行われた葬儀には200万人の人々が街頭に出て棺を見送ったそうです。

NAIA ニノイ・アキノ国際空港 こそが、この暗殺の場所です。

ただ、アキノ暗殺命令は誰が出したのか?
この事件が起こった頃マルコスは腎臓の移植手術を受けた直後で術後の状態がおもわしくなく
軍部の勝手な犯行とされています。

諸説あるなか、マルコスは、アキノをアメリカへ追放した時、充分な待遇を用意したり、フィリピンへ帰国する際は
「殺されてしまう、やめろ」
と忠告をしたり、、
アキノの死を望んではいなかったとも言われます。

マルコス独裁政権とは言え、既に政権内がコントロール出来てない状態となっていた様ですね。

そして、これを機に、あのピープルパワー、エドゥサ革命へと向かって行くのです。

はい!
今回はここまで。

この辺の時代になってくると、実際に経験をした人からの話を聞くこともできます。

あとがき

うちの奥さん、、は、まだ産まれてませんが
奥さんのお母さんや、その世代の方から聞いたことがあったのは、マルコスは偉大な大統領だった、、
と、振り返る方もいると言う事。

戒厳令と言う制限がかけられたのは確かだが、犯罪が激減して、治安が良くなり、身の安全が守られた
と言うのが大きかったようです。

逆に言えば、それまでがひどく、そしてその後がまたひどかったと言うことなんでしょう。

ウィキペディアじゃありませんが、ドゥテルテ大統領も、海外からは独裁者として言われてます。




私自身の実体験として、2014年からフィリピンに移住し、2016年大統領が変わりしばらくすると、こんなに変わるの? の連続でした
良い意味で

大統領のいつの演説だったか?
「就任時に驚いたのは
フィリピンの政治は、まるでゴミ屋敷
まだリビングの片付けも終わってない」が印象的で

最近でも「次に大統領になるものは殺す覚悟と殺される覚悟はある者」
と、、今の大変さを語ってます。

今回マルコス政権の資料を読みながら、独裁ってなんだろうと考えてしまいました。

もちろん独裁を美化するつもりは毛頭ありませんが

実体験、フィリピンの空気に触れずして、記事を書く、報道をしている 1部の人たちにはイラっと くることもありますね。


次回はマルコス政権の終焉とエドゥサ革命とその後

こうご期待!

お手数ではありますが、、

👇こちらをよろしくお願い致します🙏🏼

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