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フィリピンの歴史【episode 5】終戦からマルコス政権まで 大統領はどんな人だった?

投稿日:2020-05-09 更新日:

今回のフィリピンの歴史
【episode 5】は、、

フィリピンの歴代大統領のお話しで
戦後から、マルコス政権まで!

動画です👇

目次


と、その前に、ざっくり 前回のおさらい
フィリピンの歴史【episod 4】では

アジアの解放を名目に、アメリカ フィリピン駐在軍を撤退させた日本軍ですが、多くのゲリラ組織との戦闘に苦戦。

そんな中マッカーサー率いる連合国軍がレイテ島から侵攻。

万全のアメリカ軍に対し日本軍はレイテ島の戦いにて、歴史的な大敗。

今度は逆に追いやられた日本軍。
そして、立てこもったマニラでの戦闘。

日本軍、そして「アジアの真珠」と謳われたマニラ市の壊滅と、、
市民10万人が 虐殺をされてしまう大悲劇。

大きな犠牲、爪跡を残しながらも、日本の降伏により太平洋戦争の終結。

一旦はアメリカの統治下に戻ったフィリピンですが、独立法を基に
戦後の復興を成し遂げ始めていくのです!

では今回の本題に入ります。

フィリピンの歴代大統領

初代アギナルド大統領から、現在のドゥテルテ大統領まで、16人となります。

初代大統領 エリミオ・アギナルド
第2代 マニュエル・ケソン
第3代 ホセ・ラウレル
第4代 セルヒオ・オスメニャ
第5代 マニュエル・ロハス
第6代 エルピディオ・キリノ
第7代 ラモン・マグサイサイ
第8代 カルロス・ガルシア
第9代 ディオスダド・マカパガル
第10代 フェルディナンド・マルコス
第11代 コラソン・アキノ
第12代 フィデル・ラモス
第13代 ジョセフ・エストラーダ
第14代 グロリア・アロヨ
第15代 ベニグノ・アキノ3世
そして
第16代 ロドリゴ・ドゥテルテ
 となります。

過去の動画にて、アギナルド、ケソン、ラウレル、ロハス大統領のお話しはしておりますので、、
まずは、そこで登場しなかった


第4代《セルヒオ・オスメニャ》

1878年 セブの生まれ
ホセ・リサールが大学で医学を学んでいる頃ですね!

1904年 セブ州知事に就任
コモンウェルスのケソン大統領の下副大統領となり、
アメリカで樹立した亡命政府で
ケソン大統領亡きあと、そのまま大統領に昇格。

1944年マッカーサーとともにレイテ島に帰還

戦後、初の大統領選でロハス大統領に敗れ政界を引退。

1961年10月 83歳にして死去
まずまず、長生きをされていますね。
現在の50ペソ紙幣の肖像画となっています。


ではこのまま、大統領に沿って
戦後のフィリピンの歩んだ道を見ていきましょう!



アメリカからの復興資金を受け取る代わりにアメリカに 優遇措置を行ったロハス大統領ですが
1948年4月クラーク基地にて
56歳にして急死。

副大統領のエルピディオ・キリノが大統領に昇格

《第6代 キリノ大統領》

1890年 ビガンの生まれ
リサールがマドリードで
プロパガンダ運動をしている頃ですね

1919年下院議員に
1925年上院議員に
コモンウェルスではケソン大統領に同行しワシントンでのフィリピン独立法成立を見届ける。

太平洋戦争中のマニラの戦いにおいて妻と5人の子供のうち3人が日本兵に殺害されたと、言われております。

アメリカの軍事バックアップの下
フィリピン共産党及び、元 抗日ゲリラであったフクバラハップを壊滅

キリノ政権の6年間には目覚ましい戦後復興、経済的利益、アメリカからの経済的支援の増加などイケイケ感がありましたが、、

農地の大地主支配による搾取問題は手付かずのまま。

政治も 汚職、贈収賄によっての
腐敗が横行が。

1950年 朝鮮戦争に参加
7500人余りのフィリピン軍兵士
を遠征させています。

1953年まだまだ反日感情の強い中
日本人戦争犯罪人105人に恩赦を与え、帰国を許す。

大統領自身 妻と子供達を殺されているのに、すごい決断だったと思います。

同年フィリピン大統領選挙に出馬もラモン・マグサイサイに敗れ
1956年2月心臓発作で65歳にして死去

《第7代 マグサイサイ大統領》

1907年イバで生まれる
アメリカの統治が始まり、フィリピン組織法が動き出した頃ですね、、

1942年 日本軍が、アメリカ フィリピン駐在軍を駆逐するとアメリカの支援を受けたゲリラに参加しています。

キリノ大統領時、国防長官のポストで共産党、フクバラハップ壊滅の指揮をとる。

1953年 大統領就任後フィリピン民族衣装のバロンタガログを着用し
大統領が公式の場ではバロンを着用の流れを作りました。

また大統領府マラカニアン宮殿を《国民の家》と位置づけ自由に入れる開放的なものにもしました。

ちょうどこの時に、今放映権が剥奪されてしまった、あのABS CBNがテレビ放送開始

1955年 農地改革法 制定
大地主が不当に利益を貪るものを改革しようとするも、

抜け穴の多い不徹底なものに留まってしまう。
この改革は、後のマカパガル政権に引き継がれます。

1956年日比国交回復
次期大統領となる カルロス・ガルシア副大統領ですが、外務大臣も兼任しており、

日本と太平洋戦争での賠償責任を交渉
《日比賠償協定》の調印。

マグサイサイ大統領は、指導力、
クリーンな政治の姿勢が、
高い支持率となっていましたが、、

1957年3月、再選確実と言わる中で
大統領専用機が エンジントラブルで墜落

49歳にして不慮の事故死を遂げる
(何か、きな臭いですね、、)

《第8代 ガルシア大統領》

1896年11月ボホール州 タリボン生まれ
ボニファシオのカティプナンが武装蜂起した年ですね、、

1925年から下院議員
1933年からボホール州知事
1941年上院議員、、のはずが日本のフィリピン占領により就任は1945年に

マグサイサイ大統領の事故死により副大統領から昇格。
同年の選挙で圧勝して、改めて大統領となる。

他のアジア諸国との経済、文化協力の地域協力構想を進める中

フィリピン、タイ、マラヤ連邦(今のマレーシアですね)
による
東南アジア連合ASA設立宣言。

これが後に加盟国が増えて
東南アジア諸国連合ASEANとなります。

1961年の選挙で副大統領の
ディオスダド・マカパガル に敗れ
1971年6月 74歳にして死去

《第9代 マカパガル大統領》

1910年9月、パンパンガ州ルバオ生まれ
アメリカがスールー王国を支配下に!と、攻めてる頃ですね、、

多くの大統領が《弁護士》出身なんですが、マカパガル大統領もそうなんですね!

戦後は外務省職員としてワシントンDCのフィリピン大使館に就任

1961年 政治的腐敗と戦うことを公約に挙げガルシア大統領と対立
そして、選挙に勝つ。

フィリピン独立記念日をアメリカから与えられた7月4日から
1899年にフィリピン第一共和国の
建国が宣言された6月12日に変更

贈収賄の抑制や フィリピン経済の活性化を目標に掲げるものの、政党の対立に巻き込まれ、改革が進まず。
(どこかの国会みたいですね)

また、マグサイサイ政権から引き継いだ新たな農地改革法も、
かえって農村部での階級対立を激化させてしまう結果に。

1965年の選挙にて
フェルディナンド・マルコス に敗北

1997年4月 86歳にして死去。

特に目立った功績は、、
私には見受けられなかったのですが
現在200ペソ紙幣、あのレアな紙幣ですね、、
の肖像となっております。

そして、いよいよ20年にわたって権力を握った『マルコスの時代』に入ります。

《第10代 マルコス大統領》

1917年9月 イロコス・ノルテ州 生まれ
アメリカで、フィリピン自治法 が可決され、政治体制が近代化し始めた頃ですね、、

父親は国会議員、母親は教師。
4人兄弟の2番目で、祖先は日本人、フィリピン人、中国人のメスティーソ(混血)との話しも

フィリピン大学法学部の学生だったときに、議員暗殺事件の容疑者として起訴され、有罪判決を受ける。

ケソン大統領による恩赦を拒否
刑務所にて裁判の準備と司法試験の猛勉強
翌年最高裁にて無罪となる。

太平洋戦争中、18歳にして中尉だったマルコス、、
日本軍相手に、、勇敢に、、や
《バターン死の行進》からの脱出
など、、
多くの武勇伝が残る様ですが、、
ちょっと北の独裁者の逸話っぽい様な、眉唾ものではありますので
ここでは割愛します。

戦後、ロハス大統領の補佐官を務め、1949年には下院議員に。
1954年に「ミス・マニラ」のイメルダ夫人と結婚
(て、、 ミスマニラだったんですね!)

この時の結婚立会人はマグサイサイ大統領

ちなみにこのイメルダ夫人
出身はマニラですが若き頃レイテ島タクロバンで過ごし
1944年アメリカ軍のレイテ上陸の際にはマッカーサーの前で、フィリピン解放を祝った歌を披露してます。

マニラに戻ったイメルダ夫人は
秘書の仕事をしながら、フィリピン女子大学 音楽芸術学部 の聴講生としても通い、ミスコンテストにも相次いで出場。
「タクロバンの薔薇」と称されていたそうな。

そんなイメルダに一目惚れをしたマルコスは猛アタックをしたそうですね。

1959年に上院議員に
1962年から上院議長

議員時代の大半は《フィリピン自由党》党員だったマルコスですが、次期大統領の指名を受けられず
《フィリピン国民党》に移籍
同党の大統領候補となる。

選挙戦ではトークが軽快で、マスコミ受けがよく「アジアのケネディ」と呼ばれる。

副大統領候補の
《フェルディナンド・ロペス》とともに大統領選挙で圧勝、、

そして、20年に渡る『独裁政権』が始まります!


はい! 今回はここまで
やっと、、これから、、
マルコス政権下で何があったのか、、 ですが、お時間となりました。

今、この動画を作っているのがコロナウィルスによる都市ロックタウンに入り8週間を過ぎる頃です。

再々延長の話も出る中、予定ではあと数日でロックダウン解除。

そしてコロナの話題ばかりだった中なんとあの 副大統領の、、
大大財閥が運営するABSーCBN、日本で言うところの フジテレビ 的な
フィリピンで一番のテレビ局が
放送免許が更新されず業務停止に!

このテレビ局制作のドラマが大人気で
普段全くドラマを見ない私も最近では
「The Killer Bride」と言うドラマにどハマり

その頃から放送免許問題の話はあったので、せめてこのドラマが終わるまでは〜、、とスタッフと話をしてました。

フィリピンのドラマって、次回の予告で、次の次の場面も結構流します。

何が言いたいかと言うと、この動画シリーズでも、前々回と前回の動画にて「次回はマルコス政権とボルテスVの関係について!」
なんて告知をしてしまいましたが、、

次回にこそ、しっかりとお話しをしていきますね
sorry Po

今回もこちらを👇よろしくお願い致します!

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