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フィリピンの歴史 フィリピン文化

フィリピンの歴史【episode 4】太平洋戦争終結と第二共和国から第三共和国へ

投稿日:2020-05-07 更新日:

今回のフィリピンの歴史
【episode 4】
太平洋戦争終結
第二共和国から第三共和国へ!

動画はこちら👇

 

目次


では、ざっくりと前回のおさらい。



スペインの長きにわたる植民地支配をフィリピン革命軍とアメリカ軍の合同でこれを排除。

フィリピン第一共和国の樹立
独立革命 達成か!
と、思った矢先、、

アメリカの裏工作によりフィリピンはアメリカの支配下に。

統治体制はアメリカ合衆国の議会で定められた《フィリピン組織法》
ジョーンズ法と呼ばれる
《フィリピン自治法》
そして《フィリピン独立法》に従い
1935年の10年後にフィリピンの独立を認めるもの。

コモンウェルス《独立準備 政府》がスタート。
アメリカの統治下とは言え、フィリピン人による政治体制
そして選挙にて《ケソン政権》の成立。

フィリピンの近代化が進む中、支配国 優位の《モノカルチャー》などにより、国民の不満が共産勢力の拡大へと!

そんな中、太平洋戦争 勃発。
日本軍の『南方作戦』の要
《フィリピン作戦》が動き出す。

先手 先手の日本軍は
フィリピン滞在のアメリカ軍を次々と破り撤退をさせ、フィリピンの政治体制は日本軍のもとに、、、


はい!今回の本編に入ります!

ゲリラの反撃

1942年5月フィリピンのアメリカ軍撤退、そして全面降伏したものの
マッカーサー直属のフィリピン人
により、USAFFE 《ユサッフェ・ゲリラ》が組織される。

また、フィリピン共産党は 貧困農民、労働者の支持の下
《ルイス・タルク》により指揮された
抗日組織《フクバラハップ 》による、巧妙なゲリラ戦で、戦争終結まで、日本軍を苦しめていきます。

ゲリラ組織は小さなものを含めて100以上 27万人。

ただ日本軍に対抗する ゲリラ同士も 一枚岩ではなく、地主支配の打倒を掲げる
《フクバラハップ》を
《ユサッフェ・ゲリラ》は敵視。
双方での戦闘も繰り広げられる。

日本の軍政は反日ゲリラ討伐のために 隣組制度を敷く。
 (相互監視ですね)

1942年末には コモンウェルスを解体。
新たに《フィリピン行政委員会》をヴァルガスを筆頭に設立。

しかしゲリラ戦の多発、物資調達のための 軍票乱発による、極度なインフレなど、経済政策の失敗により
飢餓が起こり、アジア解放を掲げる日本軍への不信も進みます。

 

フィリピン第二共和国

1943年10月
日本はフィリピン民心を回復するため、第三代大統領《ホセ・ラウレル》のフィリピン 第二共和国 の独立を認める。

日本はラウレル政権と同盟条約を結び、表面上は日本の軍政が終わったが、、


ラウレル政権は 地主支配の継続を認めるなどで、民衆の支持が離れていく。

その一方で、新日派の
《ベニグノ・ラモス》と
《アルテミオ・リカルテ》らによる『マカピリ』(フィリピン愛国同志会) が勢力を増し
日本軍に協力する現地武装組織の
中核となる。



ちなみにこの 武装組織『マカピリ』を、アメリカに恨みを持つ初代フィリピン大統領アギナルドも支持しており
中心メンバーの《リカテル 》は日本に滞在もしておりました。
今でも横浜に記念碑があるようですね!



そして圧倒的国力の差で、戦局は逆転。

連合国軍によるフィリピン奪回

1944年10月アメリカ軍がレイテ島に上陸
そう、あのマッカーサーが本当に帰ってきました。



この時の上陸点が、2013年11月に
あの台風ヨランダで壊滅被害を受けたレイテ島東側のタクロバンです。

そして《レイテ沖海戦》におては、日本海軍を徹底して撃破。



この 史上最大の海戦 とも呼ばれる
レイテ沖海戦の悲劇

《神風特別攻撃隊》が初めて組織的に運用され
日本海軍 艦隊戦力が事実上消滅の大敗。


今もなお 大和型二番艦 戦艦武蔵を含め、多くの艦船が沈んでおります。

この、今後の明暗を分ける レイテ島の戦いで、日本軍だけでも8万人余りがが戦死。


アメリカ、フィリピン、オーストラリアの連合軍は、戦死者3500名ほどと言われてますが
ゲリラ、非戦闘員である民間人はその数には入っていません。


レイテ島上陸を機に アメリカ軍は抗日ゲリラ組織への武器も提供。

ますます残留日本軍と、ゲリラとの戦闘が激化します。



それに対する日本軍のゲリラ掃討作戦。
その過程でも悲劇の連鎖。
ゲリラは元々は一般市民
その区別は容易ではなく、手当たり次第に殺してしまう事になり
《虐殺事件》が起ります。

12月 続いてミンドロ島の戦い
ここでも圧倒的なアメリカ軍に対して、日本守備隊は壊滅。

1945年1月 次々とルソン島へも侵攻


そして2月 

『マニラの戦い』

このときの日本陸軍 司令官《山下大将》


圧倒的な戦力で迫りくる連合国軍に対して、司令部をバギオに移動し
日本軍がマニラを《無血占領》した時と逆に《無防備都市宣言》を出すことを検討。
(マニラの部分的な降伏ですね)

これにより街の破壊と、多くの市民を巻き添えにすることがない様、日本の司令部 大本営に通達。

だがこの提案に対し大本営は
マニラの放棄には認めず
「マニラを死守せよ!」との命令。

この時、戦闘可能な日本軍およそ1万人。
マニラ市内には約7万人の一般市民が残っていたました。

2月3日アメリカ軍 
マニラ地区へ突入。
市街地に 立てこもった日本軍に対し
最初は 砲撃火器の使用を禁止をしていたアメリカ軍も、コンクリート、石壁に立てこもった日本軍の激しい抵抗に、禁止を解除。



日本軍の拠点を徹底的に破壊するため、市街地に砲撃を開始。

街は次々と廃墟と化す。

このマニラの戦いで
最終的に日本軍の戦死者約12,000人
アメリカ軍の戦死約1000人
武力の差で一方的だった様ですね。

巻き添えで、市民の何と 10万人 が犠牲となりました。

そして、なぜ市民の 大虐殺 となってしまったのか、、

アメリカ軍と動きを共にした
抗日ゲリラにも 大きな被害を被っている日本軍は、一般市民との区別がつかず、、次々と虐殺。

また、陸軍 海軍 生存者の寄せ集め的な守備軍だったため、命令系統が機能せず、死と隣り合わせの中、秩序が保てなかったとされます。

ただ、全てが日本軍による虐殺ではなく、犠牲となった一般市民の 少なくとも4割ほどが、アメリカ側の砲撃によるものともされます。



終戦後、マニラ軍事裁判にて山下大将は有罪となり、絞首刑となりました。

まぁ、この辺も、、色んな資料を読みましたが、国や立場によっていろんな解釈がありますので
これくらいにさせていただきます。

戦争は人間を、、とんでもない 悪魔 にも、、

変えてしまうと言う事ですね、、


3月3日アメリカ軍はマニラを制圧。
さらにルソン島北部に敗走する日本軍を追い詰め
9月3日に

日本軍は降伏

日本軍と共に戦った武装組織
《マカピリ》も同時に壊滅。

最終的に日本軍、フィリピンでの
戦死者は33万人を超えております。

また、この戦争でのフィリピン人
犠牲者は110万人にも達しております。

この犠牲者の数、、とんでもない数です。
《米比戦争》による一般市民の犠牲者数も諸説ある様ですが
やはり100万人を超えていて、この二つの戦争で、本当に多くのフィリピン人が犠牲なっているのです。

そしてアジア最初の国際都市であるマニラ
アジア、スペイン、アメリカの文化が入り混じった『東洋の真珠』と呼ばれたこの街は

建物だけでなく美術品などの文化財も消滅してしまいました。



フィリピンの独立

1945年日本の降伏に伴い、
アメリカの統治下に戻ることとなりましたが

翌1946年マニラ条約によりコモンウェルスの組織を引き継ぎ
もともとの条約通りフィリピンの独立に向かいます。

4月 抗日協力者を母体とする保守派の《民主党》

労働運動とフクバラハップを母体とする《民主同盟》

地主を母体とする《国民党》
による選挙が行われ

民主党が勝利
5月 マニュエル・ロハスが
フィリピン第5代大統領に就任



そして7月4日 フィリピン第三共和国が樹立。
フィリピンは主権を獲得。

ちなみにこの年フィリピン航空が民間としてアジアで初めて太平洋横断する運行開始。



《エマニュエル・ロハス》
ですが
1942年日本軍の捕虜となり処刑寸前のところを免れ、ラウレル政権下で日本軍に協力。

終戦後、戦争犯罪人として捉えられるもマッカーサーの擁護により保釈
(どうやら、この時にでも裏取引きがあったのか?)

大統領になったロハスですが
アメリカからの復興資金を受け取る代わりに
*フィリピンに米軍基地を設置
 そのうち23カ所は租借期間99年

*フィリピン市民には交易制限

*アメリカ人の土地所有者と投資家には特権を与える
  など、、




第3共和国は経済的にアメリカ合衆国に依存する構造は変わらず
軍事的にも1947年《米比軍事基地協定》によって、米ソ冷戦の中で 反共産主義の 前線基地となる。

農業地域などでは、フクバラハップが勢力を強め、ロハスはこれを非合法化するなど抑制。
そして戦闘が繰り広げられる。

ロハスの急死後、政権を継いだ
キリノ政権。
冷戦に入り、反共産主義を押し進めたいアメリカ合衆国は、キリノ政権に軍事援助

これにより1950年10月にはフィリピン共産党が壊滅し翌年にフクバラハップも壊滅。



はい今回はここまで!
ですが、今回は、私も日本人としてしっかり知っておかなければと思い日本軍の動向に時間をかけました。

うちの奥さんの、、

ちなみにうちの奥さんの おじいちゃん、、
結婚してから聞いたのですが、日本兵に殺されたそうで、、

ちょっと衝撃的であまり深くは話を聞けませんでしたが
「俺、日本人だけどいいの」
それに対して
「Off course 」と 

あっけらかん と答えられました。

なんて心が広いんだと、その時は思いましたが、、
未だ、ささいなことで
よ〜く怒られてます。


ともあれ、基本的にフィリピン人は親日の方が多いと思いますが、それに甘えてばかりでなく、一応事実は事実!
歴史は頭に入れときましょう。


そういえば前回の予告で
次はマルコス政権まで!
なんて言ってしまいましたが
次回にしっかりと、どっぷりと《マルコス政権》のお話もしていこうと思います。

今回の動画👇


今回も長々とお付き合いありがとうございます!

よろしければこちらもよろしくお願い致します🙏🏻
Salamat po!
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